ネット上のあらゆるプラットフォームに日常を綴っている友人・同級生たちを横目にしばらく思いあぐねていたけれど ついに始めました。インターネットとわたしとの間では常に確執がある。インターネットの個人スペースとは中学生の頃からの付き合いだと考えると ずいぶん長い間戦ってきた。正確には、インターネットがすきなじぶんとインターネットがきらいなじぶんとの戦いかもしれない。「すき」も「きらい」もニュアンスとしてすこし違うのだけれど語彙だけの問題なのではなく、なんといってもインターネットとは未だに距離感をはかりかねているから上手く言い表せない。パーソナルスペースとパブリックとのせめぎあいかもしれない。たぶん1万回衝突しても乗り越えられない壁なのだろうなと実はおもっている。

 

このデジタルエイジに生きるデジタルネイティブであるにもかかわらず わたしがインターネットと素直に迎合できない原因に心当りがあるとしたら それはアナログへの執着。紙媒体に対する信頼や愛情、フィルム写真の質感が与える安心感などがいつまでも手放せないのに、一方ではおなじくらいのウェイトで利便性と面白さに惹かれてデジタルミディアムを捨てきれないじぶんを受け入れられないのかもしれないと 今のところは考えている。なかなか面白いジレンマを抱えているなあとじぶんでもおもう。距離を置いたり使い方を変えることで上手く向き合えるときもあれば まったくダメで生活のいろいろな方面に支障をきたすことも度々ある。

 

信用・信頼しきれないからすべてを委ねることはできない。インターネット上に放出したものは、そのプラットフォームが続く限りは確実に残る。逆に言うと プラットフォームの終わりが記憶の終わり、なのだとしたらそれはそれでロマンチックなのではないだろうか。ならばそのくらいのモチベーションでゆるく自由に自らの責任でわたしの過去や現在を残していこうとおもった次第でございます。いつだってほんのりふくみのある言い方しかできない。

 

とはいえ非公開のブログ、タンブラー、インスタグラムなど数多くの居場所をすでに作成していたから なにも完全に新しい試みではない。けれども、やはり不特定多数のオーディエンスがいることにどう向き合っていくかは正直想定できていない。ブログひとつ始めることごときで大袈裟だなあって思われるだろうし、冷静になるとじぶんでもいつもおもう。